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2時から本所ニコニコ寄席。ここは菊可さんの地元。連休中で、天気もいまひとつでまさに寄席日和で大入り。
『洒落小町』を演る。
その後、黒門亭へ。こちらも大入りでトリで『三軒長屋』を熱演(?)。終演後、ニコニコの連中と合流して打ち上げに沖縄料理の店へ。泡盛が美味かった。
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にぎわい座の昼席へ。楽屋で働いている前座は一人が東大卒。落語界の長い歴史の中で、最高学歴の落語家。過去にも居たが、見習いのうちに辞めてしまった。「東大卒真打」まで頑張ってもらいたい。
もう一人も東工大卒で、こちらも高学歴だが、お茶を淹れたり、着物をたたんだりと仕事の内容は、学歴にまったく関係がなく、役に立たないのがこの世界ならでは。高座は『花見小僧』を演る。
『締め込み』と『三軒長屋』を。ゲストの二楽さんの紙切りの注文が「千羽鶴」「チアリ-ダ-」「長屋の花見」と
数が多く、やっかいなものばかり。さすがに苦笑していたが、どれもお見事。『三軒長屋』は登場人物が多く、
演じ分けるのに骨が折れた。
地元出身の初音家左橋師匠を中心に、川崎グランドホテルで隔月に行なっている会で、私は4年ぶりに呼んでいただく。今春真打に昇進する講釈の神田ひまわりさんも一緒で、彼女は前座の頃よく使ってもらっていたそうだ。私はトリで『百年目』を演る。

上野精養軒で昨秋亡くなった三遊亭円好師匠を偲ぶ会。故人の兄弟子である円丈師匠が発起人となり、80
名ほどのゆかりのある人たちが集まった。兄弟弟子や同期の方々による故人のエピソ-ドに「前座時分から高座に上がりたがらなかった」「着物がキレイだった」「あまり思い出はない」等あるなかで「円生夫妻にかわいがられ、いつも一緒で、晩年円生師が気分良く高座に上がれたのは彼のおかげ。昭和の名人に尽くした人でした。こういう落語家がひとりぐらい居てもいいのでは、、、」という言葉が印象に残った。
円好師は六代目円生を看取った人で、円生の27回忌のお清めの席で、亡くなった日の様子を聞いたことと、『真田小僧』の中で言い間違った人名を直してもらった思い出が私にはある。
偲ぶ会の後、円丈師匠に誘っていただき二次会へ。前座が店を見つけに走り、らん丈兄の携帯に「上野駅の神田橋口に来てください」とのこと。「上野で神田橋とはこれいかに?」と問答をしながら捜したが、なかなか見つからない。
それもそのはず神田橋ではなくパンダ橋だった。円生が亡くなった1979年9月3日は上野動物園のパンダも死に、翌日の新聞はパンダの記事の方が大きく、昭和の名人もパンダに食われてしまった。その名人に尽くした人を偲ぶ日に、パンダを聴き間違えたのは、なにか因縁めいたものを感じる。

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