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上野精養軒で昨秋亡くなった三遊亭円好師匠を偲ぶ会。故人の兄弟子である円丈師匠が発起人となり、80
名ほどのゆかりのある人たちが集まった。兄弟弟子や同期の方々による故人のエピソ-ドに「前座時分から高座に上がりたがらなかった」「着物がキレイだった」「あまり思い出はない」等あるなかで「円生夫妻にかわいがられ、いつも一緒で、晩年円生師が気分良く高座に上がれたのは彼のおかげ。昭和の名人に尽くした人でした。こういう落語家がひとりぐらい居てもいいのでは、、、」という言葉が印象に残った。
円好師は六代目円生を看取った人で、円生の27回忌のお清めの席で、亡くなった日の様子を聞いたことと、『真田小僧』の中で言い間違った人名を直してもらった思い出が私にはある。
偲ぶ会の後、円丈師匠に誘っていただき二次会へ。前座が店を見つけに走り、らん丈兄の携帯に「上野駅の神田橋口に来てください」とのこと。「上野で神田橋とはこれいかに?」と問答をしながら捜したが、なかなか見つからない。
それもそのはず神田橋ではなくパンダ橋だった。円生が亡くなった1979年9月3日は上野動物園のパンダも死に、翌日の新聞はパンダの記事の方が大きく、昭和の名人もパンダに食われてしまった。その名人に尽くした人を偲ぶ日に、パンダを聴き間違えたのは、なにか因縁めいたものを感じる。

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